【悩み】存在感について

友達の輪の中にいても極力目立ちたくない
あ、いたのね、とよく言われた。
苛められているわけではない。
純粋に、「居たこと」に気づかれない。
特に相手していてほしい、触れてほしい訳じゃない。
むしろそっとしといてほしい。
友達の会話を聞いてるだけでよいと思っている。

何がストレスか。

「いたのね」と言われること自体ではなく
他の人に、「いたのね」を聞かれるのが嫌だ。
存在感は薄くていい。
でも存在感が薄い人だと、第三者に思われたと感じるのがいやなのだ。

なんてめんどくさい自分

仕事もそう。
淡々と黙々と業務をこなしていきたい
注目しないでほしい。
会話が苦手。

でも、存在感を出さないとね。
といわれると異常にストレスを感じる。
あ、存在感が薄いと思われてるんだな。と感じる瞬間。

自分の横で会話が進むと気になってしかたない。
会話に混ざりたい訳ではない。
会話が進んでいるのに、
自分は入らないんだなと誰かから思われるのか、と考えると気になって仕方がない。

結局は、自分がどう思われてるかしか考えていないのかも。
内向的自己中心的思考

こう言ったら変に思われるかも
こう動いたらよく思われないかも

少し考えた結果、無難な無難な受け応え
要は自分がない。
だから存在感も薄れていく。

存在感は出したくない。
だから中途半端に見つけてほしくない。
いっそ完全にひとりがよいのか。
いや、それは寂しい。
第三者から気づかれることのない環境が望ましいのだ。
第二者しかいない社会に行きたい。

・・・だめか。
そんなのあるわけない。
開き直ろうとするけど、行き詰まる。やっぱり。

一体何年これで悩んでるのか。
もうそろそろこの無駄な悩みから脱却しないといけない。

いっそ、あからさまに存在感を出す方法を探ってみる
ゲームのようにかんがえてみようか。

今までと逆の行動をとってみる。
一日一点、何か新しい行動をとってみる。

アピールが楽しいと思い込む。
まず関わってみる。
会話がなされている方向に視線を向けてみる。
相手について強制的に興味をもってみる。
自分のことはどう思われてもよいと意識してみる。
自分の考えを素直に伝えてみる。
わざとはみ出してみる笑

あと何があるだろう・・・

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