家族との生活。
子供達の成長。
離れて住む家族や親族との関わり。
仕事のこと。
スポ少のコミュニティ。
ブログで表現するマイワールド。
学生のときの友人関係。
あっちの世界で嫌なことがあっても
こっちでの世界では、その裏で、同時に、楽しい出来事が生まれていることがある。
そう考えることで、自分のダメージが和らぐと思った。
たとえばブログ。
仕事で落ち込んでも、そのとき誰かが自分の書いた記事を読んでくれている。
承認欲求がやたら強い自分は、
ひとつの世界でうまくいかないことがあると、
その一点に固執して悩みに陥りやすい。
ほぼ「依存」に近い、自分の短所だと思う。
ブログは自分の好きなことを
とことん書き続けていられる世界
そこで、誰か一人でも読んでくれたら
こんな嬉しいことはない。
救われる
といったら大袈裟かもしれないけど、、まだ記事数50ちょっとしか書いていないけれど、
自分の精神安定を目的とした
ブログの公開は、とても効果的だと感じている。
ただ、気を付けなければならないのは、
今度は逆にブログに依存してしまうこと。
自由な世界。自由な表現。
書きたいことがありすぎて時間がない。
仕事してるときも
家族で過ごしているときも
書きたい気持ちが高まると
却ってストレスになると気づいた。
自分の思う通りに書きまくって、
それを誰かが見てくれる。
見てくれるイコール認めてくれている、と都合よく変換する。
そんな、「ノーストレスな精神安定剤」だと捉えると、
ヒトが依存する要素たっぷりではないか。
優先順位を間違えてはいけないと
改めて自分を戒める。
アナリティクスやアドセンスの閲覧が増える。
記事は増えない。
だからPV数は勿論増えない。
わかっているのにまたアドセンスる
アナリティクスる。
ストレスが増える。
これはやばい。
よくない依存ループ。
こっちの世界で依存して、
あっちの世界で依存して、
全く成長しとらんぞ。
そう思ったら今度は違うコミュニティに目を向けてみる。
ブログという、ひとつ新しい世界を作れたことに、まず自信を持つことにする。
そのうえで、
家族のことを考える
仕事のことを考える
周りの人のことを考える
そのあと、ブログのことを考える
自分を形成する「柱」はいくつも持っている。
ひとつつまづいたら、
外に目を向けてみる。
何も悩むことなどないレベルだと気づく。
恵まれているし、ちっちゃい。
自分の関わらない世界でも、いろんなことが起きている。
あらゆる「柱」が壊れ、拠り所がなくなる人いる。国がある。
自分はどうか。
むしろ、そういった人達に、拠り所を提供することだって、
考えるべきではないか。
それが、自分のひとつの柱である「仕事」ではないか。
子供たちは、無邪気に生きている。
この子達は、成長して何が強みとなるか。
どんなコミュニティで生きていくのか。
さまざまな柱を立ててあげることも、親としての務め。
そう考えると、
自分を作る柱は、自分のためにたてるのではなく、
他者のために太くしていくのだと思える。
他者を支えるための、自分の拠り所。
話がずれたかな
いや、ずれてないか。
依存がどうこう、など考えることがなくなる思考にもっていきたい。
と思った話。
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